関西では、金魚や錦鯉の生産地として知られていますが、中心部には全く関連したものがありません。
さて、郡山城は関ヶ原(1600年)の少し前1580年に、日和見武将の筒井順慶によって築城、その後豊臣秀吉の弟、豊臣秀長時代に大増築。その際に紀州根来寺[ねごろじ]の大門を城門として移築、平城京羅城門の礎石や石仏、五輪石までかき集めて豪壮な石垣が築かれた。江戸時代に入り城主がコロコロ変わり、1724年以降は柳沢藩十五万石の城下町として繁栄した。
明治6年の廃城令《はいじょうれい》で天守等が壊されてしまった。